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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

ずっしりと光る思い出

オウンゴール

 

 むかしむかしの話である。4人兄弟の末っ子だった私は、まだ小学1年生。母親のそばを片時も離れない甘えん坊だった。しかし、その母親が急に入院した。「なんとかキンシュ」という病名が、とても深刻に思えた。
 兄弟揃って面会に行くと、ちょうど親戚のおばさんが帰るところだった。「みんな大きくなったねぇ」と言い、「はちみつを持って来たから、みんなで食べてね」と、おばさんは私たちの頭を撫でながら付け加えた。おばさんが指差す母親の枕元には中身が金色に光る瓶が置いてあり、ずっしりと重かった。
 家に帰ると、1番上の姉がすぐにその瓶の蓋を開けようと試みる。なかなか開かない。4番目は私の番だ。でも、開かない。何回りしたかは覚えていない。「開いた!」と兄弟の誰かが叫び、日頃は食べ飽きていた食パン2枚を、母親の教えの通りに姉がトースターに入れた。マーガリンを塗った上に、このはちみつを上塗りするといいのだそうだ。
 4人で食べる2枚の食パン。日頃はマーガリンだけを塗る。たまにそのマーガリンが、母親の買ってきたイチゴジャムに替わる。しかし、マーガリンやジャムに慣れた私たちにとって、食パンは毎朝、惰性で口にする食べ物だった。でも、はちみつは違った。美味しかった。「もうちょっと塗っていい?」「うん、もうちょっとずつ塗ろう!」
 中身が金色に光る、ずっしりと重い瓶。そのずっしりとした重量感は、少しずつ少しずつ影を潜めていった。4人兄弟の誰が提案したのかは忘れたが、朝食だけではなく、学校から帰ったときのおやつにも食パンが採用されたのだ。はちみつは徐々に減っていった。「あんた、こそっとひとりで食べてるのと違う?」「そう言うお姉ちゃんが食べてるんやろ!」……減っていくはちみつを眺めつつ、はちみつ論争にまで発展することがあった。
 20日間ほどが過ぎて、母親が退院した。その頃には、瓶の中身はもう空っぽ。母親が、二回りほど小さなはちみつの瓶を買ったきたことを覚えている。裕福ではない我が家にとって、はちみつはまだ贅沢品だったのだ。
 懐かしい思い出だ。母親が他界して3年。あの頃、小学校6年、5年、4年、1年だった4人兄弟は皆、もう70代。いつかしら覚えた「蜂蜜」という漢字を、ふとど忘れしたりする年代に入っている。そして、ど忘れしながらも、あの「はちみつ」との出会いだけは今も忘れないでいるのだ。

 

(完)

 

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