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ミツバチと共に90年――

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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

少女時代の思い出

ピグモン

 

 1月の下旬に外出した時、助手席の車窓から大きな実を付けた八朔の木が見えた。今年もこの季節になったのだなと道端の山茶花のピンク色と八朔の黄色が寒い冬を彩って心がほんわかとする。
 八朔を見て私は、実家の八朔の木を思い出した。初夏に白い花を咲かせるとミツバチが来た。ミツバチは木の近くで雨に濡れない場所に巣を作り、花の季節にはよく働いていた。刺されると怖いのでミツバチとは仲良くなれなかったがこのミツバチのおかげで八朔は果実を実らせることができるのだ。
 ミツは茶箪笥があり、扉を開けるとインスタントコーヒーと蜂蜜の便があった。父茶箪笥があり、扉を開けるとインスタントコーヒーと蜂蜜の便があった。父はコーヒーよりも蜂蜜のお湯割りを好んでのんでいた。疲労回復のために飲んでいたようだが正確な理由は分からない。
 今ではパンケーキといって見栄えのするおしゃれなデザートがある。生クリームをつけて食べる甘いデザートだ。私の実家でもパンケーキもどきのおやつがあった。母は『だら焼き』と言っていた。小麦粉に卵や牛乳を入れて、フライパンに生地をダラーと垂らして焼いたものだ。適当な大きさに切って皿に盛り付け、その上に蜂蜜をたっぷりと掛ける。手づかみで食べるので指にはちみつがついてしまう。指をなめながら、蜂蜜の甘さを味わった。砂糖の代わりだ。
 私たち子どもの唇が乾燥してがさがさになると母が蜂蜜を塗ってくれた。子供用のリップクリームなんてない時代の知恵だろう。
 中学生になると「レモンのはあちみつ漬け」を作って、部活で疲れた時に友達と分け合って食べた。
 少女時代の私は、ミツバチや蜂蜜に縁があった。思い出の中の蜂蜜は家族の温かな情景に映り込んでいるアイテムのひとつであった。
 ミツバチが減って、農産物の生産に影響が出たというニュースを聞いた。のて、民家の近くにミツバチがいた時代は人と自然が共生できた良い時代だったと感慨深く思う。
 道端の柑橘類が季節になると実をつけるこの地方もまだほどよい自然が残っているので大切にしたい。少女時代には戻れないが次世代に伝えたいものを見つけて、高齢者と共に生きていく意味が分かった。

 

(完)

 

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