中島 ブフ
義父は、農業を生業としていたが、実に豪気な人であった。
ある日、何を思ったか、義父が引退した競馬馬を買ったと妻から聞いた。その数か月後。久しぶりに招かれた夕食時、目の前の大皿には山と積まれた肉があった。
「まさかこれは馬肉ですか?」と聞くと「そうだ。エサをのどに詰まらせて死んじまった。お前は馬肉が好きだろう。うんと食え!」と平然と返された。
(いくら好きでも、ものには程度というものがあるでしょ)とは言えなかった。
またある日、当時流行った竹炭を作るのだと、畑の一角に大きな炭焼き窯を造り、せっせと竹炭造りを始めた。
竹はもちろん、トウモロコシに栗に薔薇などなど、なんでも燃やして炭にした。珍しさも手伝い、しばらくは話題となっていたが、半年後には釜から煙が上がることはなかった。
「あれ、竹炭作りはどうしたんですか?」
「飽きた」の一言。
畑には残された穴窯に草が茂り、まるで小さな古墳然として残された。
このような例は数多あれど、とにかく大きいもの好きな義父が晩年のめり込んだのは、こともあろう小さな蜂であった。
ひとつは蜂治療であった。
「これはなんにでも効くんだ。親戚の○○に試したら、長年の膝の痛みがとれたんだ。こんどは△△の腰に針を刺してやることになっている。お前は肩が痛いと言ってたな。こんど針を刺してやろう」
「は、はい。でも、近頃は調子がいいので・・・」
そのうちに、畑には巣箱がいくつも並べられた。今度は蜂蜜を採るのだという。
初夏、巣箱は義父の知人の畑や山林に運び込まれ、初秋には畑に戻って来る。
私の家は義父の畑の一角にある。つまり、私の家の庭先に蜂が飛び回ることとなるわけである。
「悪さはしねーが、頭には気を付けろ。蜂は黒いものに寄って来る習性があるからな。ま、刺されたって死にゃしねーよ。ハッハッハ」とこんな調子であった。
結果として、私と息子、それに近所の人を含め5人ほどが痛い目にあった。
「もういい加減にしてくれないかな」
私達が辟易としていたころ、蜂蜜が入った大きめのガラス瓶が届いた。
「混じりっけなしの本物だ。舐めてみろ」
ぶっきらぼうに言われて舐めた蜂蜜の何と甘かったことか。
「うわー、きれいだな」
ずっしりと重いガラス瓶を陽にかざしてみた。
この時、日焼けした義父の顔色が蜂蜜色に染まって見えた。
その義父も亡くなって久しい。
たまに、旅行先などでガラス瓶入りの蜂蜜を見ると、ふと、豪気だった義父の笑顔が浮かんでくるのである。
(完)
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