桃太郎
「子に過ぎたる宝なし」
昔から子供は大切なものと考えられていた。
子供の数が減った現代ではただ親や家族の宝のみでなく社会の宝といえるようになった。
3人の子育てを終えた私達夫婦は定年を迎えた。庭に野菜でも作ってみたいと思った。
家庭菜園を始めたのが5年前だ。ところが雑草は茂り、虫は食べあさり収穫は0に等しい。それでも妻は楽しそうに話す。「せめて種代位は稼いで下さいね」と。
花作りに切り替えた。スイセン、シャクヤク、ユリの球根類を植えた。こちらは草が生え、虫が発生する前に、大した手入れもせずに蕾をつけ、花を咲かしてくれる。
株は年々大きくなり丈夫だ。太陽の恵みと土の力に感謝している。
近くに住む小4の孫娘が友達と一緒によく遊びにくる。ある日、シャクヤクとユリの花をその友達にことづけた。その翌日だ。妙齢のご婦人が尋ねてこられた。手に土産ものを下げておられた。お互いに「あら、まあ―」と声をかけあった。一緒に御茶の稽古をしている人であった。
年を取ると記憶力は確かに衰える。しかし感性は豊かになる。
花木、山河が季節ごとに移ろう様子を見ると、心が安らいでくる。蜂蜜も同じだ。今では、感性が研ぎ澄まされ、砂糖とは違う淡いまろやかな本来の味が分かるようになってきた。
彼女の土産は蜂蜜であった。妻と3人で蜂蜜の話に花が咲いた。
糠味噌へ 思い切る手の 美しさ
茶の稽古の時にも感じていたが、とりわけ、彼女がお茶を立てる時の手の美しさには心を動かされていた。蜂蜜を食べ、お茶で鍛えた、飾らない手に教養が滲みでていた。
彼女は蜂蜜に詳しかった。中でも夏みかんを食べるときに塗って食べることを教えてくれた。庭には夏ミカンの大木があり沢山の実をつけたが、独特の酸味を敬遠し誰も食べようとしなかった。ところが蜂蜜をつけると酸味と蜂蜜の甘さが調和し素晴らしいまろやかな味を生み出していた。
あれから5年が経った、蜂蜜と花との交換は今でも続いている。深いところで人間への信頼をつなぎとめてくれた蜂蜜である。
蜂蜜と花を通して孫達が健やかに成長してくれることを祈っている。
(完)
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