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ミツバチと共に90年――

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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

思い出のミツバチ

みのわ なおこ

 

 「なおこ~、おままごとする?」奥の部屋から姉の声がすると、私はあわてて網と籠を手にし、サンダルをひっかけながら、ころげるように玄関を出た。ままごとは苦手だった。私が育った北海道の地には、おもちゃはゴロゴロと自然界に転がっている。私は蝶々やとんぼを追いかけ、キリギリスやクワガタを探して野原を駆け回った。
 そんな中で、私の一番の遊び相手はミツバチだった。家のそばの野原にはレンゲやタンポポ、コスモスなど、季節に応じて様々な花が咲く。ブルルルルという羽音を響かせ、ミツバチは花の蜜を狙ってやって来る。背を丸めて花にとまるその姿はとても愛らしく、見ていると童話の世界へと誘われた。
 ある時、私はミツバチを家に持ち帰えりたくて、瓶に彼らを集めたことがあった。瓶の中のミツバチは、震える羽をガラスにすべらせながら飛んでいる。私はその姿にあわててふたを開けた。ミツバチはしばらくモサモサと動き、それから瓶の淵にとまると、私に何度か頭を下げて(私にはそう見えた)、別れを惜しむかのようにホバリングをすると、勢いよく青空へと飛んで行った。
 
 高校を卒業すると、私は祖母の家から大学へ通い始めた。その大学はミツバチの研究で名が知れている学校であった。ある日、「研究室で蜂蜜を売っている」と聞いた私は、ひと瓶買いに立ち寄った。室内には残念ながらミツバチはおらず、私をがっかりさせたが、帰り道、蜂蜜の瓶を太陽にかざすと、それは琥珀色にキラキラと輝いて、ミツバチの偉大さを私に語りかけてきた。
 そしてある時、祖母の誕生日に、研究室の「ロイヤルゼリー」をプレゼントした。学生にとっては決して安い買い物ではなかったが、祖母がそれを舐めると、長生きするような気がしたのだ。私は時折、冷蔵庫に保管された、そのローヤルゼリーの減り具合が気になった。祖母の顔はいつもつやつやしていて、自分の息子の妻と間違えられるくらい若かったから、きっと使ってくれていたと、今も信じている。

 それから四十年の歳月が流れた頃、大学の同窓会に出席する機会があった。久しぶりに会う友だちの顔は、それぞれの暮らしの歴史を物語っているようで興味深かった。その中のひとりに、昔と変わらない友だちがいた。彼女は特に美人というわけではなかったが、体型が保たれ、何よりも色が白く、顔にしわもしみもない。「肌がきれいね」というと、「ずっとロイヤルゼリーを飲んでいたからね」と彼女は言った。その頃、少しずつ、顔にしみができ始めていた私は、「そっか、ロイヤルゼリーだ!」と忘れかけていたその存在を久しぶりに思い出した。
 しばらくして、私は旅行でベトナムへ行った。さほど期待もしていなかったベトナムだったけど、メコン川クルーズで立ち寄った浮島はとても気に入った。島に着くと、私たちは小船を降りて、熱帯植物の赤や黄色の花を横目に熱帯雨林を少し歩く。すると、蜂蜜を製造している場所に着いた。そこでの昼食が終わる頃、蜂蜜とロイヤルゼリーを持ったスタッフが、さかんに宣伝を始めた。ほかの旅行客はさほど興味がないようであったが、私はロイヤルゼリーに目が輝いた。そして帰りの荷物の中には、しっかりとロイヤルゼリーが納まっていたのである。
 日本産のロイヤルゼリーは高価でなかなか手が出ない。しかし品質はきっと素晴らしいことだろう。「いっそうのこと、養蜂家にでもなりたい!」。ある日「ニューヨークではビルの屋上で養蜂をやっているよね」と夫に言うと、「(大阪では)ミツバチの巣箱は、住宅地から20メートル以上離れていないと置けへんねん」との返事。夫も養蜂を考えたことがあるらしい。山沿いに住んでいる私たちではあるが、マンション住まい。結局、養蜂家になる夢はあっさりとあきらめたのだった。

 なぜそんなにも私が、ミツバチや蜂蜜に関心を持ち続けるのかはわからない。ミツバチという小さな生き物が、人間の見えないところで、日夜、六角形の住処をアクセク作り続けていることへの好奇心なのか、畏敬の念からなのか、憧れなのか。はたまた、その奇跡の一部を享受したいという願いからなのか。

 今日も蜂蜜を紅茶にたらして、私の一日が始まる。ミツバチと遊んだ遠い日々を思いながら。

 

(完)

 

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